記事のアーカイブ

マルコ福音書より(20)8章27~33   〈叱りつけた〉 

2015年08月12日 15:13
  イエスは弟子たちに問うた、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか。」 弟子たちは世間の評価を述べる。イエスはそれを聴いた後、弟子たちに問うた、 「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」   すると弟子たちを代表してペトロが答えた、 「あなたは、メシアです。」   するとイエスは「ご自分のことをだれにも話さないようにと戒められた。」   ここでイエスはペトロの答えた「あなたはメシアです」をだれにも告げてはならないと言われた。ここの「戒められた」は「叱りつけた」である。つまり、イエスのメシアであることを人々に言うことはイエスによって厳重に禁じられ

マルコ福音書より(19)6章45~52 〈わたしだ〉

2015年08月12日 15:11
  きょうの物語は嵐の海で立ち往生する舟の中の弟子たちにイエスが海を歩き近づいてゆく物語である。   物語は「イエスは弟子たちを強いて舟に乗せた」「イエスだけは陸地におられた」と記しているところからして、この物語はイエスが弟子たちに嵐の海で立ち往生する体験を敢えてさせた物語、と言ってよいだろう。   そう読んだうえで、この物語のテーマは何であるかを問うとどうなるか。 わたくしの読むところ、この物語のテーマは次のイエスの言葉にあるのではないか。   「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」    福音書はイエスについて証しするとき、イエスは

マルコ福音書より(18)7章24~30  〈しなやかに〉

2015年08月12日 15:10
きょうの物語には女性が登場している。 彼女は多くの困難を抱えていた。   彼女の娘は難病に苦しむ。彼女に経済的な支えとなる者はいなかったと思われる。 当時の社会の父権制の中で彼女は不利な状況を強いられていたことであろう。 以上に加えて、彼女がギリシャ人であったことも、ユダヤ教徒の多住する社会の中においては異邦人として区分けされ、不利な状況を被っていたことであろう。   ここに登場する彼女は、このような事情を抱えていた。 ここで、このような事情を抱えていた女性が、イエスに会いに来た。   彼女はイエスに願いをぶつける。激しくぶつける。 多くの困難を抱えている彼女であ

9月13日・「長寿を感謝し祝う会」のご案内

2015年08月07日 19:46
10:30 より約1時間 長寿への感謝礼拝と祝う会を行います。 ぜひご自由にご参加ください♪

夏の悪夢

2015年08月02日 10:30
  私は集団的自衛についての安倍首相の説明が理解できない。 彼はこう言う、日本の存立が危うくなると判断されるときには未だ日本が武力攻撃をうけていなくても日本から先に武力攻撃することができる。 この説明に対し日本の存立が危うくなると判断するとき何が根拠になるのかの問いに、彼はこう言う、いろいろなことを総合的に判断する。 総合的にとはどういうことかの問いには、こう言う、総合的の内容を言うことはできない、日本に武力攻撃してくる相手にこちらの手の内を明かすようなものであり、また国家機密であるから。 要するに安倍首相の集団的自衛についての説明は全て政府に任せよということ。これは戦争が必定となる

8月2日・「平和聖日」の礼拝へのご案内

2015年07月25日 15:31
  日本キリスト教団は広島と長崎への原爆投下のあの日に近い日曜日を「平和聖日」と定めており、今年は8月2日です。 わたしたち中野桃園教会はこの日に「主の日の礼拝」をささげ、その中で敗戦後70年を迎えたこの国にある教会としての祈りを聖書から聴きたいと思っています。 礼拝は午前10時30分から1時間ほどです。 どうぞいらしてください。

マルコ福音書より(17)6章30~44  〈あなたがたが食べ物を〉

2015年07月25日 15:27
物語はイエスが大勢の人々にパンを分かち与えた物語。 いまいちどこの物語を読み直してみたい。    次のイエスの言葉に注目したい。 「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」   「あなたがた」は弟子たちのこと。イエスは弟子たちに命じる、「あなたがたが食べ物を与えよ」と。このイエスの命令に対し弟子たちは不服を申し立てる。「わたしたちが200デナリオンものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか。」弟子たちはなにゆえ不服を申し立てたのか。   ここできょうの物語より前に置かれている物語を読む必要がある。それは6章7~13に記されている物語。それはイエスが弟子たちを

マルコの福音書から(16)5章25~34  〈あなたの信仰〉

2015年07月25日 15:25
一人の女が登場する。 物語は彼女の状況について詳しく記している。    彼女は12年間も出血が止まらず、多くの医者にかかってひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるという状況にあった。物語はこのように詳しく彼女の状況を記している。    福音書にあるイエスの癒しの物語はイエスの言動については詳しく記しているが、イエスの癒しを受ける側の者がいかなる状況であるかについては簡略な描写となっている。その傾向にあるものが多い。しかし、この福音書物語はイエスの癒しを受ける側の者の状況について詳しく記している。この点がこの物語の特徴である。物語はここに使

救いについて その2

2015年07月05日 10:30
  新約聖書のヨハネ福音書は神による救いについてどのように言っているだろうか。この福音書によく知られた文章がしるされているが、それは「神は独り子を与えるほどにこの世を愛された」である。  このよく知られた文章を解くと、「独り子」は「イエス」、「与える」は「引き渡す」という意味、引き渡す先は「この世」、「この世」とは人々のことを言っているのだが、それを「世」という表現で言っている、「世」はこの福音書では或る性質をもったものとして登場、それは自分の非を指摘されると強く拒否する、光に照らされないように逃げる、「闇」という性質をもつ、「愛された」は真正面から向き合う在り様のことである。  こ

マルコの福音書から(15)4章1~9 〈悪霊の憑依〉

2015年07月02日 21:12
物語はイエスに近寄って来る人が現れるところから始まる。 イエスに近寄って来た人は墓場からやって来た。この人は墓場を住処としていた。   墓場は命を終えた者の場。この人は命を終えた場の墓場に留め置かれていた。この人はそこで鎖で縛られていた。この人は命を終えていない、生きている。けれども、この人は命を終えた者を置く場の墓場に留め置かれ、そこで鎖で縛られていた。推察するに、この人は社会に出て来ては迷惑であるとされた。この人は社会から隔離され、社会の外に置かれた。そこから出て来ることは困るとされた人であった。    物語によると、この人は自分を縛り付けている鎖を引きちぎったとある。自分の居場
アイテム: 181 - 190 / 230
<< 17 | 18 | 19 | 20 | 21 >>