救いについて その2

2015年07月05日 10:30

 

新約聖書のヨハネ福音書は神による救いについてどのように言っているだろうか。この福音書によく知られた文章がしるされているが、それは「神は独り子を与えるほどにこの世を愛された」である。

 このよく知られた文章を解くと、「独り子」は「イエス」、「与える」は「引き渡す」という意味、引き渡す先は「この世」、「この世」とは人々のことを言っているのだが、それを「世」という表現で言っている、「世」はこの福音書では或る性質をもったものとして登場、それは自分の非を指摘されると強く拒否する、光に照らされないように逃げる、「闇」という性質をもつ、「愛された」は真正面から向き合う在り様のことである。

 このヨハネ福音書ではイエスは「言葉」

として登場し、言葉を世に対し発し続けている。すなわち、自分の非を指摘されると強く拒否し、光に照らされないように逃げ、「闇」という性質をもつ世に向かってイエスは真正面から向き合って言葉を発している。

この福音書のイエスはこの世が隠しているもの、それを明るみに出す、この世の虚偽を明らかにする、すなわちイエスは「光」として登場している。

この福音書にはイエスの自己紹介「わたしは何々である」がいくつもある。たとえば、「わたしは命の水である」、「わたしは命のパンである」。このイエスの自己紹介は自分こそが「命の水」「命のパン」であり、ほかのものは「命の」と言っていてもそれは虚偽である、ということを述べたものである。

この福音書は神がこの世を救うためにこの世を愛されたと語っているのだが、この福音書の証する神のこの世に対する愛はこの世の虚偽を明らかにすることをもって愛であるとしている。

 この福音書のイエスはこの世の虚偽を明らかにする言葉であり、この言葉でだけある。このイエスは旧約聖書に登場する預言者を徹底化した存在であると言ってよいだろう。

聖書は神による救いについてしるしている書であるが、その中にこの世の虚偽を明らかにすることをもって神による救いとするヨハネ福音書がある。聖書は面白い書であると思う。