記事のアーカイブ
マルコの福音書から(8) 2章13~17 〈わたしが来たのは〉
2014年12月12日 17:35
きょうの物語に徴税人が登場している。
徴税人はローマ帝国が課する税を徴収する職に就いていた。ユダヤの民からすれば搾取と抑圧の支配者に協力する徴税人には軽蔑の視線を浴びせるほかない。徴税人はユダヤの民共同体の外に置かれた存在であった。
この当時ユダヤ民族主義が高まりつつあった。ローマ帝国支配を追い出す反ローマ抵抗運動が熱く燃えつつあった。ユダヤの民の多くはユダヤ民族主義に傾斜しつつあった。この状況が徴税人をユダヤの民共同体から外すことに拍車をかけていた。
イエスは徴税人に「わたしについて来なさい」と言われた。
 
マルコ福音書から(7) 2章1~12 〈家にて〉
2014年12月12日 17:33
きょうの物語で初めに留意したいのは、「イエスはその人たちを見て」。
イエスが見ているものがある、それは「その人たち」。「その人たち」とは誰であるか、それは病んでいる者を運んできた者たちである。ここでイエスがまずもって見ておられるのは病んでいる者ではなくて、病んでいる者を運んできた者たち。すなわち、イエスが見ておられるのは病んでいる者の周囲にいる者たち。
福音書著者は病んでいる当事者に向き合うイエスを描く前に、病む者の周囲にいる者たちを見ているイエスを描く。著者が入手した物語伝承のイエスは病む者の周囲にいる者たちが病む者にどのように関わろうとしているかを
聖書とは何か
2014年12月07日 10:30
聖書とは何であるか。この問いに聖書自ら答えるときこうなろう。聖書とは神が為したことが書いてある書。ではどのように書かれているか。
いろいろと書かれているが基調はある。それは「出エジプト」。これは苦役に苦しんでいたヘブライのひとびとを神が救出したという出来事。神は苦しむ者を救出する、これが聖書の基調であると言ってよいと思う。
ところで、今日「苦しみ」は多様。人の苦しみの原因が過去にあるとき人には苦しみの因を除くことはできない。今日それを償う努力はするものの償い切れないことで苦しむことがある。こういう苦しみにある人に対し聖書はいかなることを語る書であるか。
今、理不尽の苦しみが生じている。こ
マルコ福音書から(6) 1章40~45 〈超える〉
2014年11月07日 15:45
物語は重い皮膚病を患っていた人がイエスの所に来たことから始まる。
イエスが行く所には問題を抱えている人々が集まって来る。悪霊に憑依された人、病を患った人が。この時、世にはこのような問題を抱えている人が多く存在しているということが明らかになる。人々の日常の場に問題があっても、問題は取り立てて問題にされることはない。しかし、イエスが日常の場にやって来ることによって問題が問題として明らかにされる。
ここで浮上した問題は重い皮膚病。
当時この病にある人が置かれていた社会的な立ち位置は一言で申せば被疎外。住むのは町の外、公の集
キリスト教とは何か
2014年11月02日 10:30
キリスト教とは何か。この問いに答えるには歴史をさかのぼるとよい。キリスト教はユダヤ教から分離独立した。そのユダヤ教は古代イスラエル宗教を引き継いだ。その古代イスラエル宗教はモーセという人物を介して成立したヘブライ宗教から由来している。こういうわけで、キリスト教はヘブライ宗教を源に持つ。キリスト教とは何か、この問いに最も単純シンプルに答えるには、キリスト教はヘブライ宗教から由来し、ここに源を持つ宗教、こう答えるのがよい。
ところでキリスト教の源流のヘブライ宗教はモーセを介して成立したわけだが、
その成立には一つの出来事が介在。それは古代オリエント世界の覇
マルコ福音書から(5) 1章21~28 〈悪の霊とのたたかい〉
2014年11月01日 13:05
きょうの物語は悪の霊を追い出すイエスを描く。
ここに登場する悪霊に憑依された者とは古代オリエント世界に広まっていた呪術にのめりこんでいた者である、と察せられる。
古代オリエントの世界において広まっていたものに呪術があった。その呪術は相手の名を呼ぶことによってその相手を支配し、自分に従わせるとするものであった。きょうの物語に登場する者はイエスの名を呼びイエスを従わせようとしている。この者は呪術にのめり込んでいる者と見てよいだろう。
ここでイエスはこの者を黙らせた。この時、悪の霊は追い出された、と、物語はしている。そうすると、悪霊の追放とは呪術からの
マルコ福音書から(4) 1章16~20 〈招き〉
2014年10月24日 21:00
物語はイエスが四人の者たちを弟子として招く物語。物語を辿ってみよう。
イエスが四人の者たちを弟子として招いたのは「イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき」。ここに記された通りであるとするとイエスが四人を弟子として招くときのいきさつは、イエスがガリラヤ湖を歩いているとき、たまたまこの四人に会って、ということになる。
ここで推察するに、弟子として招くのであるからイエスはこの四人についてあらかじめ調べておいたのではないか。弟子であることには相当の力量が必要とされることは承知していたはずであるからイエスはこの四人についてあらかじめ調べておいたのではないか。これがごく普通のこ
マルコ福音書から(3) 1章14~15 〈時は満ちた〉
2014年10月13日 15:17
イエスの活動が始まった。
イエスは宣言する、「時は満ちた」「神の国が近づいた」。
イエスは「神の介入する時」が来たと言われた。
旧約聖書には神の介入を待つ人々が登場している。この人々にとって神の介入の時の到来を告げる報知は「喜びの知らせ」であった。というのはこの人々にとってその時とは「救い」の起こる時であったから。
詩編の第4編にこういう祈りが記されている。
「呼び求めるわたしに答えてください
わたしの正しさを認めてくださる神よ。
苦難から解き放ってください
憐れんで、祈りを聞いてください。」
この詩の作者は苦難からの解放を求めて神に向かって祈っている。一
マルコ福音書から(2) 1章9~11 〈天と地〉
2014年10月13日 15:00
この福音書の主題は「神の子イエス・キリストの福音」。
さきほど読んでいただいた物語からイエスが登場、主題が始まる。
物語はイエスがバプテスマを受けた物語。物語によれば、イエスがバプテスマを受けた時、天から声があった。いかなる声であったか。
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
ここでイエスは「天にいます方」すなわち「神」から「愛する子」と呼ばれた。すなわち「神の御子」と呼ばれた。これをイエスは受諾した。
福音書著者は、ここで、イエスが神から「わたしの愛する子」すなわち「神の御子」と呼ばれ、これをイエスが受諾したことを描いた。
裁判員制度
2014年10月05日 10:30
9月30日の夕刊の記事が気になった。その記事は「裁判員制度は合憲」の見出しで福島地裁判決を伝えるもの。判決は裁判員制度に従って裁判員となった方が国に損害賠償を求めた訴訟に対する判決。判決はその方の請求を棄却した。
記事によると、その方は強盗殺人事件の裁判員裁判で遺体の写真や被害者の助けを求める119番の録音を見聞きし、その際の場面が突然思い出される「フラッシュバック」や不眠などを伴う急性ストレス障害になった。
福島地裁の判決はその方の裁判員制度を違憲とする主張を認めず合憲の判断を示した。判決は「原告が裁判員を務めたことと、ストレス障害を発症したことには、相当因果関係があると認められる」としたが
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