希 望

2015年10月04日 10:30

反安保法案デモ集会に若い人たちの参加が目立った。若い人たちの率直な物言いに新鮮さを感じた。購読の新聞に載っている写真には若い人たちの顔が溢れていた。私はこれまでとは違うものがこの国社会に動き始めているのではないかと思った。

私はこの若い人たちの物言いを私なりに言い直せば「わたしは殺されたくないし、人を殺したくない」。私はこの若い人たちの言っていることに深く感じ入るものがある。

このたび可決された法が適用されたら、殺されるのも人を殺すのもまずは自衛隊の隊員たちである。若い人たちが「わたしは殺されたくないし、人を殺したくない」と言うとき、もちろん自分自身のことを思って言っているにちがいないのだが、自衛隊の隊員のことをも思って言っていると私には聞こえる。「わたしは殺されたくないし、人を殺したくない」この思いは自衛隊の隊員たちの思いでもあるとデモに参加している若い人たちは叫んでいる、と私には聞こえた。

 

私がこのように言うと私に反論が直ちに向けられる。「わたしは殺されたくないし、人を殺したくない」のであれば自衛隊を辞めればいい、自衛隊に入るということは「わたしは殺されるということ、人を殺すということである」。私はこのように言う人とは考えが根本から違う。

私の信条は「人は自分を人に殺させてもいけないし人を殺してもいけない」。それゆえ私は自衛隊を「わたしは殺されるのであり人を殺すことになる」職業であるとする主張に対し真っ向から反対する。人と人との殺し合いを職業として認めるなどということはあってはならない。

私はこんなことを言ったところで何の効果もないことを知っているので最近は言わずじまいとなっていた。が、このたび猛省をうながされた。反安保法案のデモ集会参加の若い人たちは「わたしは殺されたくないし、人を殺したくもない」と声を枯らして叫んでいる。これは私が聖書から教えられ言ってきたことだが最近は言わずじまいになっていた。あらためて声に出し言葉にしてゆかなれなければならない。私は反安保法案のデモ集会参加の若い人たちから思いがけず元気をもらい、そして希望をもらった。