巣にある恵み(2022・春)

2022年04月25日 16:14



『巣にある恵み』   

イースターを迎えました。皆さんいかがお過ごしでしょうか、牧師の縣洋一です。新型コロナウイルス、そしてウクライナへのロシア軍の武力侵攻という世界的な大きな二つの苦難の中で、教会は受難節からイースターへの時を過ごして参りました。受難週に語った『ゴルゴタ』では、主イエスが十字架上において「神の沈黙」という最大の苦しみを受けられながらも、「それでもなお」神に向かって最後まで叫び続けた姿を、詩編31編23節の御言葉から学びました。

復活祭では『復活の目撃』と題し、一番最初に書かれたマルコの復活記事に焦点を当て語りました。そこには「美辞麗句」ではなく「恐ろしさ」に震えおののく様が記されており、そこに復活のリアリティーがあることを学び知りました。また、クリスマス礼拝以来の「主の食卓」の時を持つことができ、更に1年掛けて学んできた「主の祈り」も共に心を合わせて祈り、喜びに満ち溢れた時となりました。

さて、冬の終わりにちょっと不思議なことがありました。礼拝堂に通じる外の大階段の途中にある「花壇」での出来事です。「一息ついた時に、花が目に入ったらいいなあ」と、あれこれと花を植えているのですが、なぜかこの時期、花びらのほとんどが地面に散らばっているのです。気を取り直して新しい花を植えてもまた同じなのです。どうして?花屋さんに尋ねてみると、「それは恐らく、鳥の仕業です。」と言うのです。薄々感じてはいたのですが、「やっぱりそうか」と。

しかし、その理由を聞いて何だか可哀そうになりました。「冬は餌がないから、色がついているものは、とにかくついばんでみるんです。」と教えてくれました。鳥も冬場は大変なんだなと。それから鳥に食べられないようにあれこれ工夫をし、鳥との「知恵比べ」をしましたが、途中からはもうあきらめて「どうぞ!」と。すると、不思議なことに春になり鳥たちも餌を見つけ始めたころから、新しい花芽から花が開き始め、右の写真のように復活の花を咲かしてくれました。無理やりにではなく、それはそれとして受け入れて、「時を待つ」ということが大事なんだということを、何だか教えられた気がしました。

そして、もう一つ見つけた面白い物が「鳥の巣」です。縁藤造園さんが作業の時に教えてくれたのですが、牧師館のベランダの目の前に「巣」があるのです。残念ながら他の場所に巣作りを変えたのか雛も親鳥もそこにはいないのですが、ハナミズキの枝の間に上手に作ったその巣を見る度に「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、つばめは巣をかけて、雛を置いています。(詩編84:4)」との言葉が重なり、私にとってこの教会の象徴のような物となっています。

「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。(詩編81:11)」

鳥たちと「口の開け方比べ」をしながら、巣(主)にある恵みを味わって参りたいです!