居 場 所

2018年07月01日 10:30

報道によれば、過日の豪雨は多くの人の命を奪い、人の居場所の家を奪った。報道に接し心痛む。この方々の心に癒しが与えられ、奪われた居場所の家が一日も早く再建されることを願うばかりである。

この国ではここのところたてつづけに人の命が奪われ、人の居場所である家が奪われることが起っている。七年前の東日本の大地震・原発破壊、さらにさかのぼれば阪神淡路の大震災において多くの人の命が奪われ、人の居場所の家が奪われた。この問題がこの国における優先して取り組まれなければならない課題であると言わなければならない。

ところで、人が居場所を失うのは、いま言及したような大災害によって住んでいた家を失ったとき生じるが、視野を広げてみると、難民となって故郷から外に出ざるをえなくなったとき人は居場所を失う。さらに視野を深めて言えば、人は事のしだいで自分のを失うことがあるのだが、そのとき自分の居場所を失う。この居場所を失う、これは人にとって苦境にほかならない。

その居場所喪失の体験を書いているのはハンナ・アーレントである。彼女はヒトラーによるユダヤ人絶滅から逃れるため母国ドイツから難民となって外に出る。彼女のエッセイに「われら亡命者」がある。彼女は亡命者となり居場所を失った者の苦境について静かな口調で書いている。

ところで、聖書の初めの創世記の冒頭に「初めに神は天と地を創造した」とある。天と地は場所すなわち〈居場所〉。ここには、神はなによりもまず初めに〈居場所〉を創造したと書かれている。

こう書いたこの人はバビロン捕囚の身、〈居場所〉を失っていた。〈居場所〉の大切さを誰よりもよく承知していたのはこの人である。この後この人は人にとって〈良い居場所〉とはどういうものであるかについて書く。それをしるす創世記1章、三千年前の古文書、今日解読するに値する。