創世記の洪水物語

2019年06月09日 10:30

 聖書の初めにある創世記に「洪水物語」と呼ばれている物語がある。

この物語の「洪水」は「戦争」を指している。戦争を言い表すのに洪水の比喩が用いられたのは、大災害を生じさせる洪水が戦争の生じさせる巨大な壊滅の事態を言い表す近似の表現であるからであろう。

物語は洪水が何故生じたかについて書いている。それは、当時政治を動かす権力を掌握していた者たちの勝手気ままな、横暴というほかないものによってであった。それが書かれている。

この物語の作者は、洪水という異常気象が生じて地は存続の危機に直面しているとしているが、物語の読者である私たちは、この物語表現の向こうにある、物語作者の言っているところを読み取らなければならない。

 わたくしは最近、『原発事故との伴走の記』と題する本を読んだ。著者は、物理学者の池内了。わたくしはこの本からあらためて深い示唆を与えられた。

著者が伴走するとしている原発事故は、8年前の2011年3月11日に生じた福島の東京電力の原子力発電所の原子炉の破壊による被曝事故のこと。

この本で述べられていることは、短い文章で紹介することに躊躇があるが、申してみると、

現在は地下資源に依拠した文明であるが、その資源量の有限性と環境容量の限界のゆえ数十年のうちに終わりをむかえることは確実。この地下資源の文明から、資源量として無限に近く環境と調和を図れる地上資源へと転換することが求められている。あの〈3・11〉は文明の転換点としなければならない。

この本の著者の池内了はあの〈3・11〉事故に物理学者として責任があるとし、自分はあの悲惨極まる原発事故にこれからずっと伴走し続けると宣言。この本の終章の「脱原発への道」では21からなる文章を掲げ、そこからこの物理学者の発する熱が伝わって来る。

聖書には今日に関わることが書かれている。それを読み出すこと、それが求められている。