人権の感覚

2017年06月04日 10:00

岩波新書に日高六郎『戦後思想を考える』がある。この書の冒頭に三木清の獄死のことが書かれている。著者いわく、「日本は、戦後、おそらくもっとも重要な思想的な仕事をしたであろうひとりの思想家を失った。」

三木は治安維持法によって獄中の人となり獄死した。三木が獄死したのは1945年8月15日(敗戦)以前ではなく、それから一カ月以上たった9月26日であった。日本政府は敗戦後も三木を釈放せず獄死させた。

三木清の獄死を聞いたロイター通信の記者がおどろいて日本政府の山崎内相に面会を求める。このとき内相はこう答えた〈思想取り締まりの秘密警察は現在なお活動を続けており、治安維持法によって違反者は逮捕する。〉日本政府内相は敗戦後二カ月半たってこういうことを平気で言ってのけていたのである。このことが新聞記事になり、GHQマッカーサー元帥は直ちに指令を出し、全ての政治犯の釈放を命じた。

日高六郎は次のように書いている。

三木清の獄死を聞いて日本政府に面会に行ったのは日本人記者ではなく、外国人記者であった。日本の人民は敗戦後、治安維持法によって政治犯とされた者たちを釈放すべしの声を挙げることをしなかった。日本の人民は「人権の感覚」に関し問題があったのではないか。日本の人民に「人権の感覚」があれば敗戦後ただちに治安維持法によって政治犯とされた者たちの釈放を求める行動を起こしたであろう。そうであれば、三木清の獄死は避けられえたかもしれない。

最近の日本政府のすることに国際連合の人権担当の方々から危惧する旨の表明が相次いで出されている。新聞の報道によると、政府官房長官はこの危惧表明を個人の意見だと言って退けたという。これは間違い。この危惧表明は単なる個人の意見ではなく、国連の見解なのである。国連の人権担当から出されている危惧の表明に向き合おうとしないこの国の政府はじつに困ったものと言うほかない。