2015年

2016年01月03日 10:30

 

新しい年の初め、昨年の2015年を振り

返っておきたい。ここで購読の新聞に載った文章を紹介する。それは菅原文子さんとおっしゃる方の文章である。

菅原さんは昨年11月フランスのパリで起こったテロ事件の後の「大国」の軍事報復に憂慮し新聞に寄稿した。

「フランスの悲しみや怒りを世界に届けるメデイアは数多くある。彼らの声は大きく、よく響く。悲しみの場所に花束が集まり、ローソクの灯が連なる。その明るさは遠い日本にまで届く。」

「しかし、多くの市民たちを殺害し自らの若い生命もその場に捨てたイスラームの人たちの声を届けるメデイアの声は、あまりにも小さい。だから私たちには、世界の半分しか見えていない。半分は明るく、半分は暗い半月を見るようだ。」

「欠けた半月の暗闇に生きる人々の声が伝わらない限り、犯人たちの母や妻、きょうだいや子供たちの悲しみと嘆きが聞こえてこない限り、私たちは明るい半分の月が伝えることのすべてが真実なのかどうか、信じて

良いのかを決めることはできない。」        

「そこにも富と自由が、ここと同じようにあるなら裁きのつけようもあるが、富も自由も乏しいなら、私たちはそれを痛み、悲しむことしかできない。アジアの辺境の島国から届けるのは爆音ではなく、平和への願いと祈りであり、それを力強いものにするために戦っている者たちが少しでもいるという希望だけだ。」

「大国の軍需産業の強欲の前に、世界の理性と叡智は声もなく色褪せる。テロに軍事力で臨む時、その爆音の大きさに大義は吹き飛び、憎悪と復讐の灰が地にも心にも積り続ける。」

この文章を寄稿した菅原文子さんは映画俳優の菅原文太さん(逝って1年になる)の妻で、山梨県で友人たちと自然農園を設立、無農薬の有機農業を営んでおられる。

私はこれまでこの文章と同じことを言ってきたので共鳴共感し読んだのだが直ちに次のことを想起した。それは昨年の2月、私たちにはよく知られていないシリアの状況を伝えようとしていたジャーナリストの後藤健二さんが殺害された事件である。

この国の政府は後藤健二さんを救出することができなかった。これが2015年であったということ、これを私たちは忘れてはなるまい。