責 任

2015年11月01日 10:30

 

国会で承認された新安保法が実施されたとき生じうることの一つは次のことである。この国の自衛隊がPKO(国連平和維持活動)に派遣され現地で活動するとき、これまでは正当防衛に限って武器使用を認められていたが、それが大幅に使用可能になる。

現地で内戦が生じ人々が助けを求めて日本の自衛隊の居る所に逃げ込んで来、それを追って民兵集団が攻撃してきたとき、これからの自衛隊はその民兵集団を撃退させるための武器使用を相当程度自由にしてよいということになる。

この場合に次の問題点が生じる。自衛隊がこの事態に直面するのは突如のことであって本国政府に意向をたしかめるいとまはないゆえこれを実施した責任は現地の自衛隊にあるということになる。殺傷した相手は「民兵」であって正規の国家兵士ではないゆえ民間人を殺傷したことになると言われたとき弁明の余地がない。この責任は現地の自衛隊が負うことになる。はたしてこういう責任を自衛隊に負わせていいのだろうか。

このときこの国政府の代表者首相は自衛隊の責任は自分の責任であると言うであろうが一体いかなる責任をとるのか。内閣総辞職で済まされることではない。

そもそもこうなったとき責任は誰であれどのようにしてもとれないのであって、こうならないようにしなければならない。

次の問題点もある。現地の自衛隊は交戦するわけであるが、その判断も交戦の仕方も全て現地の自衛隊に「丸投げ」することになる。この種の交戦がきっかけで戦いが拡大し全面戦争になったのが先のアジア・太平洋戦争であった。自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に参加するということで戦争を招き寄せることになる。この悲劇を生じさせてはならない。

 このたび政府が出した新安保法案は世論が半数をはるかに超え反対していたにもかかわらずこれを異議なく承認した国会議員は衆参合わせると三分の二の多数。これには驚きを禁じ得なかった。この人たちはこの新安保法によって問題が生じたときいかなる責任をとるのか。

 キリストの教会は「命」に関わることには聖書に基づき発言するつとめにあるが、今はことにその責任を果たさなければならない時であると思う。

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