福音の香り
私は『時の徴』の編集同人の一人であるが、その代表であった井上良雄が頑として譲らなかった主張を忘れることができない。それは方法が目的にふさわしいものであること。井上の文章に「犬と呼ばれた警官の問題」がある。そこにはこうある。
或る協議会で九州大学の滝沢克己教授がこういう話をした。三井三池争議の渦中で組合員たちから「犬」と罵倒された警官が「犬にも言わせてほしい」という文章を書いた。これを読んだ滝沢教授は朝日新聞に投書して、これについての労働組合の釈明を求めた。しかし、それはなかった。
この協議会に出席していた井上は次のような発言を聞く。「滝沢教授の取った態度はキリスト者の良心的態度としては理解できるが、そういう発言は結局は自己満足にすぎず、三井三池争議のためには何の役にも立たず、むしろマイナスの役割しか果たさない」。協議会は二人の発言をめぐって討論が続いた。討論に参加した井上は、自分はこう考えるとして文章を発表した。それを私の要約で紹介する。
三井三池争議は労働組合が労働者を守る闘いである。この労働者を守る闘いは人間を守る闘いである。この人間を守る闘いにはこの目的にふさわしい方法が求められなければならない。滝沢教授が提起したことはこのことである。労働者を守るという大義の中では警官に対する侮辱というようなことは抹消的な事件にすぎないとして片付けられてよい、とすれば、結局のところ人間を守ることはできず、労働者を守ることにはならない。
井上は言う、方法が目的にふさわしいものであるということは実際の場面で極めて困難なことであることは確かであるけれども、この困難な狭い道を行くのでないと、人間を守るという目的は果たされえない。
今、世界で起こっていることの問題はこれである。自分たちの生命を守るという大義のために戦争という方法が採用される。戦争という生命を奪う方法が生命を守る目的に反しているということは誰にも分かっていることだが、これが止められないのが今の世界だ。
井上良雄が『時の徴』編集同人たちとの論議の中で頑として譲らず語っていたことは、福音をあかしするときのそれが福音の香りがすること。私はこれを忘れることができない。