沖縄の海

2019年02月09日 10:30

沖縄の辺野古の海に土砂が投入され、沖縄の美しい青い海が黒ずんだ色に変わってゆく、その様がテレビの画面に映し出されていた。心痛んだ。テレビ画面で見るだけで心痛むが、これを直に見ている沖縄の方々の痛みは、いかばりであろう。痛みの深さは察するにあまりある。

海が汚されるということで思い起こすのは熊本の水俣の方々のことである。企業の排出した水銀で海が汚染され、悲惨極まりないことが起こった。水俣病を強いられた方がこう言っておられるのを本で読んだことがある。それをしるしておきたい。

海は自分たちの魂が帰ってゆく所。海が汚されるということは魂が帰って行く所が汚されるということ。海が汚されれば、魂の帰ってゆくところはない。その苦しみは耐え難い。

この水俣の人たちの苦しみを、石牟礼道子が『苦海浄土』に書いた。彼女は書く。水俣の人たちの魂が帰ってゆく海、その海が汚され、苦海とせしめられ、水俣の人たちの魂が帰ってゆく所が奪われた。

石牟礼は言う、この苦しみを知らなくてはならない。

沖縄の辺野古の海、そこは沖縄の人たちにとって魂の帰って行く浄土である、そう信じておられる方々が沖縄におられる、それを本で読んだことがある。この国政府がしている沖縄の辺野古の海への土砂の投入、これは沖縄の方々の魂の帰ってゆく所を汚し奪っている、そう言わなくてはならない。

新聞報道によると、沖縄の辺野古に軍事基地をつくることには、憲法が保障する基本的人権をふみにじることが生じていると、この国の学問の府にいる学者たちの多数が署名する声明が出された。

新聞にその学者たちの氏名が公表されていた。この方々には、この声明を声明だけに終わらせることなく、この声明がさらに実を得ることになるよう、その責任をはたしていってほしいと願っている。

聖書の初めにある創世記には、海は創造者なる神の造られたものとある。そして、創造者なる神は海の中の生きものを造ったとある。そうであるので、海の中の生きものの生命について、わたしたちは関心をもってゆきたいとおもう。

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