救いについて

2015年06月07日 10:30

キリスト教は救いについて宣教するがその救いとはどういう内容であるかと問われると答えを一言で言うのは難しい。理由は聖書に記されている救いについての内容がいろいろであるから。新約聖書に限ったとしても救いについての主張は多様となっている。

新約聖書には四つ福音書があるが救いの内容はそれぞれである。救いがナザレのイエスにおいてもたらされたということでは一致しているがその救いの内容となると多様である。

福音書の中で最初に書かれたマルコ福音書の言う救いは「癒し」と「会食」の中にあると言ってよい。今日このマルコ福音書の言う方向で歩もうとしている人は自分の場でこれをなにほどかでも行おうとするのである

ではマタイ福音書の言う救いとは何であるか。イエスの山上の説教の初めにある「心の貧しい人は幸いだ」にそれが示されている。「心の貧しい」は「霊において貧しい」が原文でこの意味は「神の前で砕かれ徹底的に謙虚にされた」。この「徹底的に砕かれ謙虚にされる」が起こる、これがマタイ福音書の言う救いである。今日このマタイ福音書の言う方向で歩もうとしている人は自分自身が「徹底的に砕かれ謙虚にされる」であろうとするのである。

ではルカ福音書の言う救いの内容は何であるか。イエスの「良きサマリア人のたとえ話し」にそれが示されている。当時ユダヤ人はサマリア人を「悪霊がとりついている」とまで言い蔑視し差別していた。イエスはユダヤ人の律法学者に対し「あなたが蔑視しているサマリア人があなたがたユダヤ人を助けた、よってあなたもサマリア人を助けよ」と語った。つまり差別と被差別の感情を清算して共に生きてゆくことが起こる、これがルカ福音書の言う救いである。今日このルカ福音書の言う方向で歩もうとしている人はこの差別と被差別の壁を壊し平和を構築しようとするのである。

新約聖書はこのほかにヨハネ福音書がありパウロの手紙があるが、これらも救いについて独自の主張をしている。これについて言及する紙幅はなくなってしまった。次回に述べることにしたい。

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