復活節に

2014年04月06日 10:30
4月は教会の暦では復活節を迎える。新約聖書の四福音書にはイエス復活物語があるがその描写は多様である。
 マルコ福音書では墓は空であり、復活のイエスに会うにはガリラヤに行くように告げられ、墓においては復活のイエスに会うことはできない。この福音書の使信は、ガリラヤにおいてイエスの活動にあずかり共にする、そのとき復活の活けるイエスに出会うことになる。 
 マタイ福音書では復活のイエスは山上において権能を授ける。その権能はキリスト告白のペトロに授けられた天の国の門を開けることのできる鍵のこと。具体的には聖書の意味するところを解き明かす権能のこと。この福音書の使信は、この授けられた権能に仕える、そこに復活のイエスは共におられる。 
 ルカ福音書では復活のイエスはエルサレムからエマオへの途上の二人の者に聖書を解き明かす。その後、復活のイエスはこの二人と会食する。かれらにこの方がイエスであるとわかったとき、イエスはみえなくなった。この福音書の使信は、 聖書の解き明かしと会食に仕える、そこに復活のイエスは共におられる。 
 ヨハネ福音書では復活のイエスは閉じられた家の中に入って来られる霊となった存在で、このとき罪の赦しを委託する。 この福音書ではイエスが霊の存在として来られるときには「罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかにする」、そのときには「世の支配者が断罪される」。この福音書の使信は、世の誤りを明らかにし世の支配者を断罪することを通して罪の克服として罪の赦しに仕える、そこに霊の存在となった復活のイエスは共におられる。 
 新約聖書の四福音書のイエス復活物語の要点を述べた。四福音書はそれぞれ個性的であり多様である。しかし、共通するところがある。イエスの十字架処刑死に直面。これは絶望と表現するほかない。なによりもイエスの十字架処刑死への道行きで何もせず、逃げてしまった、いや捨てることさえした自分を思い自分に絶望するほかない。しかし、四福音書のいずれもしるしていることは、このような者たちに使命の委託があったということ。 復活節を迎えるこのとき、わたしたちの教会にいかなる使命の委託がなされるか、祈りつつ考えたい。

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