これは何だろう(2021・秋)

2021年10月21日 13:31



『これは何だろう』 

皆さんいかがお過ごしでしょうか。牧師の縣洋一です。教会の庭の装いも少しずつ「夏色」から「秋色」へと模様替えをしています。この間、教会は8月には「平和聖日」を、9月には「長寿を感謝し祝う会」の時を持ちました。平和聖日では、主の祈りの「み国を来たらせたまえ」について学びました。それは普段忘れがちな「平和」が来ることを願う祈りでもあり、ヘブライ語の平和の「シャローム」は「あなたも平和ですか?」と、相手も満たされた状態であるのかを問う「問い返しのある平和」であることを語りました。また、長寿を感謝し祝う会には、5名の80歳以上の教会員が参加して下さいました。メッセージではヤコブが「ヤボク川」を渡った場面を取り継ぎました。皆ヤコブと同じように、時に神様に「しがみつき」、時に足を「引きずり」ながら、大きな川を渡ってきたことを振り返ると共に、しかし「太陽は彼の上に昇った(創世記32:32)」と記されているごとく、神の恵みがいつもその旅路を覆っていたことを感謝のうちに思い返す時となりました。また、礼拝後には、お一人お一人からお話しを頂戴し、コロナの中で連絡・報告のみで終わってしまうことが多かったので、それぞれの「思いの丈」を聞ける本当に嬉しいひと時となりました。

さて、教会の庭を散策していると、「これは何だろう?」と思うものに遭遇します。ある時は綺麗な羽の「蝶」だったり、またある時は「ジャンボざくろ」だったり...。極め付けは、教会の庭ではなく意外な場所から発せられた「これは何だろう?」。ある時、教会の台所の排水溝から「にょきっ」と出ている芽を発見!楽しいのでそのままにしていたら、カイワレ大根のようにどんどん伸びてくるのです。流石に流してしまうのは可愛いそうになり、そっと抜いて鉢に植えてみました。気分は秋の自由研究!すぐに枯れてしまうかなと思いきや、すくすくと伸びて行き、今では青虫も乗れるほどの葉になってきました。でもこれ、何の種だか分からないのです。まさに「この木なんの木、気になる木」状態です。「名前も知らない芽ですから、名前もしらない~実がなるでしょう。」と、いそいそと水やりを行っている毎日です。

面白いことに聖書にもこの声が残っています。それが「マナ」の記事です。「これは一体何だろうと、口々に言った。」(出エジプト記16:15)出エジプトの40年間、地表を薄くて壊れやすい霜のようなものが覆い、これを毎朝集めて菓子にして食べたそうです。しかも、「蜜の入ったウェファースのような味がした。」(出エジプト記16:31)「それは、こくのあるクリームのような味であった。」(民数記11:8)と、その味まで詳しく伝えています。神様は、時に予想外の良いものを与え、私たちに道を進み行く力を与えて下さることを思わされます。ヘブライ語で「これは何だろう」は「マン・フー」。これからしばらく、秋の「マン・フー集め」にいそしむ日々が続きそうです。果たしてどんなお味が待っているのでしょうか?

—————

戻る