偶像礼拝

2019年12月08日 10:30

新聞は天皇の即位について報道。今号は「天皇」のことにふれないわけにはゆかない。そのために次の書を読んだ。赤坂憲雄『象徴天皇という物語』(岩波現代文庫)。多くを教示された。その一部を紹介する。

著者は著名な民俗学者の津田左右吉の立てた論を紹介。それをわたくしの要約で言うと、天皇は日本人の平安を祈りそのために全てを尽くすという意味で日本人の精神を支える柱、この点において日本人には合意がある(著者はこの津田の主張する合意に否を述べている。)

著者はまた著名な倫理哲学者の和辻哲郎の立てた論を紹介。それをわたくしの要約で言うと、天皇は日本人の文化伝統の永年に渡る唯一の体現者、この点において日本人には合意がある(著者はこの和辻の主張する合意にも否を述べている。)

著者はその後述べる。民俗学者の津田によれば天皇の居る領域は日本人の「精神」の中、倫理哲学者の和辻によれば日本人の「伝統文化」の中。津田も和辻も「象徴天皇制」を擁護。

著者はその後述べる。象徴天皇の居場所はこの二つの領域にあるということになるが、今後、人々がこの領域の権威者を必要とせずとなったとき、天皇制は衰退するほかないであろう。

著者はそう述べたうえで書く。天皇は宗教的な絶対権威をおびた者として存在。国家権力を掌握した者たちが国家を方向づけるとき、この天皇を絶対のものとして利用。それがこの国日本においてくりかえされた。

聖書は「偶像礼拝」に対し否を示す。人間および人間の造ったものが絶対化されると、そこに「隷属化」が生じ、この世界に差別と破壊が生じる。これを語っているのが聖書である。

このたび挙行された「大嘗祭」(だいじょうさい)は、天皇がこの国を創建したと神話において言われている天照大神から神権を授与される儀式であるという。ここには人間の神化がある。

これは最もしてはいけないことであると声を出してゆかなければならない。それが聖書を読んでいる者の役目である。

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