キリスト教とは何か

2014年11月02日 10:30

 

キリスト教とは何か。この問いに答えるには歴史をさかのぼるとよい。キリスト教はユダヤ教から分離独立した。そのユダヤ教は古代イスラエル宗教を引き継いだ。その古代イスラエル宗教はモーセという人物を介して成立したヘブライ宗教から由来している。こういうわけで、キリスト教はヘブライ宗教を源に持つ。キリスト教とは何か、この問いに最も単純シンプルに答えるには、キリスト教はヘブライ宗教から由来し、ここに源を持つ宗教、こう答えるのがよい。

 

ところでキリスト教の源流のヘブライ宗教はモーセを介して成立したわけだが、

 

その成立には一つの出来事が介在。それは古代オリエント世界の覇者であったエジプト国において苦役を強いられ隷属下にあったヘブライ人たちがエジプトを脱出した出来事。この出来事があって後に成立したのがヘブライ宗教であった。ヘブライ宗教はこの成立事情のゆえに最も重要なこととしたのは「強制からの自由」ということであった。ただ、これを保持してゆくということは大変困難なことであった。

 

人と人の間に差異が生じる。強い者と弱い者という差異が。この差異に問題が生じる。強い者たちが弱い者たちを強制し自由を認めないということが生じる。ヘブライ人たちはエジプトの強制から脱出し自由を得たのであるが、自分たちの中で強い者が弱い者を強制し自由を奪う、これをするに至る。

 

そこで、「強制からの自由」を保持確保してゆくには「法」を設け強い者を規制することが有効であると考えられ実施された。しかし実際には逆効果、強い者が弱い者を規制し強制することになった。「法律」や「制度」で「強制からの自由」を確保することはできない、「人」という存在を根本から考えなければならない、これに気付くに至る。人は他者を支配したいという欲望に負けてしまう。人は強い者に支配されそれに任せておくほうが樂だという欲望に負けてしまう。人はそのどちらかになってしまうのである。

 

キリスト教がその存立の根拠としている聖書は分厚い。その理由は難問の中の難問、今述べた「人」という存在の根本にある問題、これと取り組んで紆余曲折の道程を辿っているからである。

キリスト教とは何か。それはこの聖書の主題に取り組む宗教、こう言ってよいのではないか。

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