「エデンの園」

2018年11月30日 13:21

原初史物語はここから〈物語〉を始める。

 

2章8

「主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。」

 

物語は、神ヤハウェは人間を〈エデンの園〉に置いたと語る。その〈エデンの園〉は〈果樹農園〉であった。〈果樹農園〉は美しく描写されている。

 

2章9

「『見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木』が生えていた。」

 

この美しい描写は、神ヤハウェが人間を置いた果樹農園は〈人間が生きるに極めて良好な最上の場であった〉ということを言っているとみてよいだろう。この描写にも物語作者の編集意図があるのではないかとおもわれる。この後の物語展開をみてみると、

 

人間が〈エデンの園〉で生き続けることができなくなるということが語られている。そうすると、二章九の「見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木」が生えていたというこの描写は、人間は〈生きるに極めて良好な最上の場であった〉そこにおいて生き続けることができなかったということ、それを浮き彫りにするための描写であったと言うことができる。

 

ところで、物語は、神ヤハウェはエデンの園に〈二本の木〉を植えた、と語る。

 

2章9

「園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。」

ここにしるされている〈善と悪を知る知識の木〉は、この後に展開する物語の中心テーマである。ここはその中心テーマを前もって示したということであるとおもわれる。このテーマについては後で詳しく立ち入ることになるが、その前に、ここにしるされている〈命の木〉と〈善と悪を知る知識の木〉の関係についてしるしておきたい。

 

 

これについて示唆深い解釈を提示している文章がある。それはカール・バルトの『教会教義学』の中にある文章である。それを紹介しておこう。

   

神は園の中央に〈命の木〉と〈善悪を知る知識の木〉とを植えた。これはまず第一に、この園が〈生命の場所〉であるということ、〈生命〉はどこにあるかということを示すためであった。第二に、〈生命〉は何によって失われるかを示すためであった。

人間が〈善悪を知る知識の木〉の実を食べることは、人間が〈神のようになろうとする〉ことにほかならない。〈善悪を知る知識の木〉とは然りと否、救いと滅び、生と死の間を区別し、それを決定する審判者になるということを意味する。人間はこれをおこなうことによって生命を失う。

 

これをおこなったらただちに死ぬということではなく、これをおこない始めたならば、自己破滅の道に傾斜し始めたということを知らなければならない。この〈善悪を知る知識の木〉はそれが起こらないための、いわばそれを未然に防ぐための警鐘のようなものとして、園の中央に神によって植えられた。

 

この神によって植えられた二本の木、すなわち〈命の木〉と〈善悪を知る知識の木〉、これは前者が〈福音〉、後者が〈律法〉を示すと言ってよい。この二本の木の関係は〈福音と律法〉の関係としてとらえることができる。

 

カール・バルトはこのように述べている。彼の解釈によれば、エデンの園の中央に植えられた第一の木の〈命の木〉は〈命のある場所〉というのはどこにあるかについて示すもの、〈エデンの園〉とは〈命の場所〉であることを示すものである。そして、園の中央に〈命の木〉と共に植えられた第二の木の〈善悪を知る知識の木〉は〈命〉を失うことのないようそれを未然に防ぐために神によって与えられたものである。この〈二本の木〉の関係は〈福音と律法〉の関係にある。このバルトの解説は示唆深いとおもう。

 〈エデンの園〉

 

原初史物語はここから〈物語〉を始める。

 

2章8

「主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。」

 

物語は、神ヤハウェは人間を〈エデンの園〉に置いたと語る。その〈エデンの園〉は〈果樹農園〉であった。〈果樹農園〉は美しく描写されている。

 

2章9

「『見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木』が生えていた。」

 

この美しい描写は、神ヤハウェが人間を置いた果樹農園は〈人間が生きるに極めて良好な最上の場であった〉ということを言っているとみてよいだろう。この描写にも物語作者の編集意図があるのではないかとおもわれる。この後の物語展開をみてみると、

 

人間が〈エデンの園〉で生き続けることができなくなるということが語られている。そうすると、二章九の「見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木」が生えていたというこの描写は、人間は〈生きるに極めて良好な最上の場であった〉そこにおいて生き続けることができなかったということ、それを浮き彫りにするための描写であったと言うことができる。

 

ところで、物語は、神ヤハウェはエデンの園に〈二本の木〉を植えた、と語る。

 

2章9

「園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。」

ここにしるされている〈善と悪を知る知識の木〉は、この後に展開する物語の中心テーマである。ここはその中心テーマを前もって示したということであるとおもわれる。このテーマについては後で詳しく立ち入ることになるが、その前に、ここにしるされている〈命の木〉と〈善と悪を知る知識の木〉の関係についてしるしておきたい。

 

 

これについて示唆深い解釈を提示している文章がある。それはカール・バルトの『教会教義学』の中にある文章である。それを紹介しておこう。

   

神は園の中央に〈命の木〉と〈善悪を知る知識の木〉とを植えた。これはまず第一に、この園が〈生命の場所〉であるということ、〈生命〉はどこにあるかということを示すためであった。第二に、〈生命〉は何によって失われるかを示すためであった。

人間が〈善悪を知る知識の木〉の実を食べることは、人間が〈神のようになろうとする〉ことにほかならない。〈善悪を知る知識の木〉とは然りと否、救いと滅び、生と死の間を区別し、それを決定する審判者になるということを意味する。人間はこれをおこなうことによって生命を失う。

 

これをおこなったらただちに死ぬということではなく、これをおこない始めたならば、自己破滅の道に傾斜し始めたということを知らなければならない。この〈善悪を知る知識の木〉はそれが起こらないための、いわばそれを未然に防ぐための警鐘のようなものとして、園の中央に神によって植えられた。

 

この神によって植えられた二本の木、すなわち〈命の木〉と〈善悪を知る知識の木〉、これは前者が〈福音〉、後者が〈律法〉を示すと言ってよい。この二本の木の関係は〈福音と律法〉の関係としてとらえることができる。

 

カール・バルトはこのように述べている。彼の解釈によれば、エデンの園の中央に植えられた第一の木の〈命の木〉は〈命のある場所〉というのはどこにあるかについて示すもの、〈エデンの園〉とは〈命の場所〉であることを示すものである。そして、園の中央に〈命の木〉と共に植えられた第二の木の〈善悪を知る知識の木〉は〈命〉を失うことのないようそれを未然に防ぐために神によって与えられたものである。この〈二本の木〉の関係は〈福音と律法〉の関係にある。このバルトの解説は示唆深いとおもう。

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