百花繚卵 (2023・春)

2023年04月24日 16:08


『百花繚乱』                                                            

イースターを迎えました。皆さんいかがお過ごしでしょうか、牧師の縣洋一です。教会では2月22日の灰の水曜日から40日間の受難節・レントの期間を過ごし、4月9日に喜びの復活祭・イースターの時を祝いました。

受難節最後のメッセージでは、主イエスが十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」と自分の言葉ではなく、「詩編」(22編2節)の言葉を最後に叫ばれたことに着目しました。「なぜ」との問いは、神の沈黙という闇の最も深い底に置かれながらも、それでもなお、神への信頼ゆえに発した「なぜ」なのであり、そこにも神の言葉がある場とされたこと。そして、人生の苦しみ、悩みを、向こうの世界、彼岸という言葉で解決せず、あくまでも今、この「生」の中で解決が与えられるものとして、それを神に求めた「なぜ」であったことを語り継ぎました。また復活祭では「なぜ」と嘆き悲しみながら主イエスの墓にやってきた婦人に対し、天使が「なぜ、生きた者を死んだ者の中に捜すのか」と、同じ「なぜ」で問い返したことに着目し、私たちの元にも「なぜ、呻くのか、なぜ嘆くのか(詩編46編)」と、それが思い違いであることを告げる問い返しの「なぜ」が、絶えず響いていることを語りました。

さて、春と言えば今年も教会の桜が華やかに咲き誇りました。なんと開花宣言と同日に咲き、これから桃園教会の桜が東京の開花宣言の基準になるかも!と思っていたそんな中、「よし!」と一念発起した場所がありました。それが桜の木の下にある無味乾燥な空間。前々からそこに「花」が植わっていたら楽しいのになあ、道行く人も楽しんでくれるのではと思っていたのですが、ついに花を植えてみました。以前、山上の説教から話した際に、イエス様が「野の花、空の鳥を見よ。」と言われた野の花は、「アネモネ」だった説があることを思い出し、まず「アネモネ」を植えてみました。それ以外に「ヒヤシンス」説もあり「ヒヤシンス」を植え、他にも「スイレン」「チューリップ」「シクラメン」「カモミール」等々、諸説あることから、「もうこうなったら何でもあり!」と、気にせず綺麗な花をどんどん植えていったところ、ガリラヤ湖顔負けの、花の庭ができました!花殻を摘みに外に出ていると、道行く人から「この道を通る時、花を見てとても嬉しい気分になるのよ。花が嫌いな人はいませんからね。」と温かい声を掛けられ、本当に嬉しい場所となりました。また、イースター礼拝では、今年もオリーブの木に、有志のみんなで作った絵柄で彩られた「イースターエッグ」が、にぎやかにぶら下げられ、まさに「百花繚乱」ならぬ「百花繚卵!」の喜びをこの復活のイースターに味わっています。